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『もし、お前の声が出るようになったら……そうだな、名前でも呼んでくれよ』
(わたしは、あなたがそう望むなら)
あなたに会いにきました。 (4・終)
夏が過ぎて、日が落ちるのも早くなった秋口。
千鶴はこの部屋から姿を消した。
カーテンが風になびく音をたてる度に窓辺を確認してしまう。
そして思い出して落胆するのだ。千鶴は居たところへ帰ってしまったのだと。
決して、突然という訳ではなかったのかもしれない。
俺が、考えるのを避けていただけの話だ。不思議なことなんて、いくらでもあった。
千鶴を初めて見つけたときだって、あの体でどうやってベランダの手摺りを越えたのか。
声が出ないと分かって涙を零したのは、それまで言葉を紡げたということなのか。
初めて会ったはずの、見ず知らずの男である土方に、どうして怯えないのか。
千鶴は本来ここに居るべき存在ではないことを、認めたくなかったのだ。
いつしか千鶴への質問は減り、代わりに他愛のない言葉ばかりを送っていた。ただの思い出話だったり、仕事の愚痴だったり、何気ない願望を口にすることもあった。
そして、ついに千鶴がいなくなった日。
仕事を終えて帰ってきた俺の視界に映ったのは、開けっ放しの窓にカーテンが揺れる、空っぽの部屋だった。
それから、もう三ヶ月になるだろうか。
そのうち記憶の片隅に追いやられるだろうと思っていたのに、全く駄目だ。ふにゃりと笑う顔が、あたたかい体が、綺麗な黒髪が、遠くを見つめる琥珀色の瞳が、何一つ記憶から消えていってくれない。むしろ日がたつにつれて思考を埋められていく気さえする。
「はは……滑稽だな」
自分しか居ない部屋に、渇いた声が響いた。
夜は窓を開け放している。千鶴をいつ来てもいいように。とっくに窓を開けたまま寝るような季節ではないのに、未練がましい自分に苦笑する。
ベットに転がれば、いつも隣で眠っていた千鶴を思い出す。目にとまるもの全てが千鶴の気配を残している気がして、眠くもないのに無理矢理瞼を下ろした。
ただ、千鶴はとても軽い体だったから。抱き上げたときの重さだけは忘れてしまいそうだ。
(――だから、はやく帰って来い。お前が居るべき場所を、次はここにしてくれないか)
今夜は、千鶴を見つけたときと似て、怖いくらい月が綺麗だ。彼女が見たら、目を真んまるにして喜ぶのだろうか。
徐々に眠りに落ち始める頭で、千鶴の笑顔が思考を霞めては消えた。
玄関からカチャカチャと何かが鳴る音。最近、浅い眠りが続いていたので、ごく小さな物音で意識が浮上してしまった。
「――…なんだ……?」
時計を見れば深夜の2時。とうに人が訪ねて来る時間ではない。
頭が回り始めてから数秒。ようやく心臓がどくりと鳴る。
(――そうだ。入口は窓ではないと、教えたことがあった)
落ち着かない鼓動のまま、一歩一歩玄関へ近づいた。掴んだ金属製のドアノブは、いつもよりひんやりと感じる。
ぎい、と相変わらず軋む音を立てる扉を開けた。
初めて見つけたときと同じだ。手足に薄い傷をたくさんつくり、白いワンピース一枚の千鶴がいた。
見上げてくる大きな瞳も、綺麗な黒髪も、全部あのときと同じ。唯一違うのは、その細い両脚で立っていることだった。
どうしていいか分からず、ドアノブを握ったまま立ち尽くす俺を見て、千鶴が不思議そうに頭を傾げる。何の反応もない俺に、はにかんだ困った様な顔をして、ぎこちなく口を開けたり閉じたりしていた。
じっと俺の目を覗き込んでくる。
胸元をつかんでくる小さな手も、黒目がちな大きな瞳も、全部見慣れているはずなのに、何故か落ち着かない。
すると、千鶴が息を軽く吸い込んだ。
「と、しぞう…さん…?」
耳に届いたのは、初めて聞いた千鶴の声。
褒めてくれと期待に満ちた瞳で、細い指がますます俺のシャツを強く掴んで皺をつくる。いつもの様に顔を胸にすり寄せると、返事はまだかと言う甘えの態度を見せた。
どこ行ってたんだとか、いつ声が出る様になったんだとか、チャイム鳴らせって言ったろとか、色んな台詞が頭を過ったが言葉にはならなくて。
その小さい体を、ただ強く抱きしめた。
ふふ、と鈴が鳴るような声が漏れる。
抱きしめ返してくる細い腕はひたすらに愛しくて。
俺はもう、二度と一人になる事はできないのだろう。
(―――ずっと、ずっと一人で海を見ていた、あなたに会いにきました。)
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